2016年10月16日日曜日

大君低砲台繋舟場 明治時代石積み今も残る

大柿町大君、早瀬大橋の南側に低砲台繋舟場があります。

明治時代に広島湾および呉軍港へ敵艦船が侵入するのを防ぐために陸軍により広島湾要塞が設置されました。大柿町にも広島要塞を構成する「大君低砲台」が作られ付属施設として、繋舟場があります。

大正時代には平時に漕舟演習場として用途変更され、大正15年に広島湾要塞が廃止されました。

低砲台繋舟場は海に向かって延びていました。

明治時代から原形を残した石積。今でも、当時の姿が残っています。

大君低砲台繋舟場は、早瀬大橋分岐から徒歩10分です。



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江田島市観光協会

恵み多き島

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